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お義父さん、さようなら(その3)...デンマーク人の夫の親を看取った体験記2018.07.23 Monday
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(その2 からの続き です)
お義父さんを見送ったのは、介護施設でした。
バスルーム、キッチン、リビングルームにベッドルームという、日本でいうなら贅沢な1LDKといった部屋で暮らし、常駐するナースや介護士さんのお世話になってきました。
(こんなに手厚い介護ケアが税金で賄われているって、すごい福祉国家ですね)
お義父さんが亡くなると、すぐに介護士さんが二人組で死化粧、着替え、納棺の準備までしてくれました。
手慣れたもので、ものの30分もかからなかったと思います。
そして、真夜中なのに遺族である私たちに、コーヒーとビスケットを出してくれました。
その翌朝、お棺がやってきました。
日本の棺と違って、真っ白で、白と赤のバラの花で飾ってあって、あんまり美しくて思わず奇声をあげてしまいました(笑)。
葬儀屋さんが手際よく遺体を納棺し、お父さんの部屋で、棺の蓋を閉める儀式をします。
聖歌をみんなで歌い、家族がお父さんの顔を見納めし、蓋を閉じ、十字架の形をした杭をネジ入れます。
日本のお棺のように、お顔だけ見られる小窓がないのです。
だから、蓋をしたらそれが最後。お葬式の時もお顔見られないんです。
お義父さんの遺体は小さくなっていたけど、とても安らかに眠っているように見えました。
もう魂はあちらに行っているけれど、蝋人形のようなお顔を見ていたら、様々な思い出が甦るのでしょう。
ラースはいつまでも、じーっとお父さんのお顔を眺めていました。
お葬式の準備が整うまでには時間がかかるので、それまで冷蔵のきいた霊安室に安置します。
霊柩車はバスの運転手でもあったお義父さんが毎日走ったルートを辿り、隣町の教会に到着。
ここにお棺を置いてきました。
それからはお葬式の準備。
親戚や地域への告知、お花の発注、牧師さんとの打ち合わせ、教会へのお墓準備依頼、セレモニー後のコーヒー・タイムのセッティング。
そして、私たちもお兄さんも時間が残されていないので、お葬式までの間にも遺品の分配や処理方法を相談。
お義父さんがお世話になってきた介護施設の中を歩いていると、おじいさん、おばあさんたち、介護士の人たちが近寄ってきて「コンドレアー」と声をかけてくれます。
「お悔やみ申し上げます」という意味なのですが、日本のようにかしこまった感じじゃなくて、とても親密なトーンを感じました。時には手を握ってくれたり、肩を抱いてくれたり、背中に手を置いてくれたり。
わたしはどうやらこの介護施設では有名人だったらしく、「フォルマ(お義父さんの名前)のきれいな娘さん」とか「コンサート・ピアニスト」とか呼ばれていたらしいです。(笑)
お葬式は、お義母さんが眠る、小さな教会で行われました。
ラースが育ったところは麦畑が広がる農業地域。
のちに国立公園に指定されたことから、夏になると観光客がやってきて「デンマーク本土で一番小さな教会」というキャッチフレーズで観光スポットになっています。
教会の中に入ると、たくさんのお花で飾られていました。
白い花ばかりではなく、色とりどりの花々が美しくアレンジされていて、とても美しかった。
お葬式に参列する人たちも、真っ黒の喪服ではなく、華美にはならない程度のきちんとした服、という感じです。
アナなんか事実上「後妻」のくせに、黒いスカートとジャケットの下に、まっかっかのシャツを着ていて、「なんてオシャレなの〜?!」と感動してました(笑)。
牧師さんがスピーチをする合間に、アナが選んだ聖歌をみんなで歌います。
みんなで歌うっていいですね。みんなでお義父さんの魂を送り出しているように感じました。
牧師さんはお義父さんがどんな人だったかを簡潔にお話ししていたようです。
心優しく、思いやりのある、フェアな人だった、と。
教会の外には、お義母さんが眠るお墓があります。
そのお隣に深く穴を掘り、そこに棺を下ろします。
そう、土葬です。
みんなで聖歌を歌い、牧師さんが祈りの言葉と共に、土を3回ふりかけ、家族が花を1輪ずつ投げ入れて。
セレモニー終了。
とてもシンプルながらハートに響くお葬式でした。
その後、みなさんを町のホテルにご招待して、コーヒーとケーキをいただきながら、亡き人の思い出話しをします。
ほんの2時間ほどですが、これが日本のお通夜みたいな感じかな。
何十年も会っていない従兄弟や親戚とのキャッチアップも兼ねて、ワイワイと盛り上がっていました。
その日の夕方、お兄さんとラースと一緒に、もう一度、教会に行きました。
お母さんのお隣に埋められたお父さんのお墓に、さよならするために。
何か音を捧げたかったのですが、ピアノは持っていけないから、フルートを持って行きました。
お義父さんの棺が埋められた場所は、土がこんもりと盛り上がっており、そこにたくさんのお花が散りばめてありました。
そこで、フルートを吹きました。
思いついたのが、シューマンの「トロイメライ」。
音が風に乗って、お父さんの魂と交わるよう。
お父さんとの思い出が、スライドショーのように浮かんでは消えていく。
音楽が終わると、涙があふれ出てきました。
今まで抑えていたものが、せき切ったように流れでてきました。
お葬式の時も、お茶の時も、デンマークの風習を邪魔しないように、
ラースやお兄さん、アナの気持ちを邪魔しないようにと、
姿を消すように息を殺すように、遠慮していたことに気づきました。
私のお義父さんとの思い出なんか、ラースやお兄さんやアナに比べたら屁でもないことは確かだけど、
あの瞬間を目撃した人間として、発散させたいものがあったのだろうと思います。
「早く逝って」とお願いして、それに答えてくれたお義父さん。
まるで私が殺したかのような罪悪感もありました。
ラースが私と結婚しなかったら、ラースはお義父さんのそばに暮らせただろう。
いつでも必要な時に見舞うこともできただろう。
そんなふうに考えるのは、まるで御門違いなのは分かっているけど、
「ごめんなさい」という気持ちも、その涙に含まれていたように思います。
そして、「ありがとう」の気持ちも。
ここで生まれ育ったラースとお兄さんたち(3人兄弟)。
お父さんがいなくなった今、もうこの地に来ることもないでしょう。
ラースにとっては「さよなら、デンマーク」の儀式でもあったと思います。
翌朝、故郷の地を去るとき、アナにさよならしました。
この地の人たちはシャイなので、いつもは握手しかしないのですが、
お互い感極まって、はじめてハグしました。
彼女は英語わからないし、私はデンマーク語わからないけど、
彼女が言った言葉はわかりました。
「遠くから来てくれて、ありがとう。
ガールズによろしくね」
「このイベントに参加できて、ほんとうにうれしかった。
どうぞ、お体に気をつけて。」
そう言ったら、彼女は大粒の涙を流しながら、またハグしてくれました。
「意地悪な継義母」が、友だちになりました(笑)。
言葉と文化の壁を超えて。
ラースと一緒にここに来られて、よかった。
ラースは「さよならデンマーク」な気分でいるようだけど、
私はデンマークがますます好きになりました。
故郷がもう一つ、増えた気分です。
お義父さん、ほんとうにありがとう。
すべてに Tak, Tak, Tak……
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読んでいて涙が止まりませんでした。
ぼくは今まで誰の最期にも立ち会えず、祖父母も父も叔父も逝ってしまい、とても残念です。
麻紀子さんのこの記事を、去年、叔父の最期を看取った妹に紹介しておきます。| Tatsuo Yamaguchi | 2018/07/24 10:08 AM |Yamaguchiさん、共感していただけて光栄です。
きっと妹さんも貴重な体験をされたことでしょう。| 福島麻紀子 | 2018/07/27 6:07 AM |