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お義父さん、さようなら(その1)...デンマーク人の夫の親を看取った体験記2018.07.22 Sunday
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デンマークから「お義父さん危篤」の連絡が入ったのは、7月9日。
2ヶ月に渡る長旅からオーストラリアに戻って、ようやく日常生活に馴染んできたと思った矢先のことでした。
ラースは即刻デンマークに向けて旅立ちの準備に入り、私は荷造りを手伝っていたのですが、どうにも自分も行きたくなってきました。
ラースと結婚して20年。
お義父さんがいるラースの故郷=デンマークの田舎と、私たちが住むオーストラリア・レッドランドベイは、地球の反対側。
だから、ともに過した時間は限られているけれど、たくさんの楽しかった思い出が残っています。
日本人女性と結婚するためにオーストラリアに行くなんて、リスキー!クレイジー!とみんなに言われたラースに
「行って来い!」と背中押してくれたお義父さん。
初めてのデンマークに戸惑っていた私を、歓迎してくれたお義父さん。
私の両親を連れてデンマークを訪れた時、大きなサマーハウスで一緒に過ごしたこと。
オーストラリアに来てくれた時は、バイロンベイや、ストラッディ島で一緒に遊んだこと。
ヘロン島からヘリコプターに乗ったことは、お義父さんの一生の自慢話だった。
アルツハイマー病で私たちが誰かわからなくなっても、「マイ・ピアニスト」と呼んでくれた。
お義父さんの死に目には間に合わないかもしれないけど、お葬式には立ち会って、さよならしたい。
でも・・・
行こうかどうしようかと迷っていたら、ガールズの彼氏が「コインを投げて決めたら?」と提案してくれました。
でも、コインの投げ方が下手くそで何度も練習する羽目に(笑)。
「よし、これで本番!」と投げたら、いきなりtail=裏=「行かない」が出て、ガッカリ。
そしたら、ガールズ&ボーイズが「そんなにガッカリするなら行くべきだよ!」と背中押してくれました。
「家のこと、犬のことは既に2ヶ月間私たちが面倒見てきたんだから、1-2週間留守したって大丈夫だよ!」と。
なんと心強いことよ。
考えてみると、ラースと一緒にデンマークに行きたくない理由は特にない。
再度留守にすることへの(娘たちと、イー・コンセプションのスタッフのみんな、そして犬たちへの)罪悪感が行きたい気持ちを抑えていたんだと思います。
でも仕事はオンラインでほぼ出来るし、娘たちがそう言ってくれるなら、もう思い切って行っちゃえ!と。
急な旅立ちだったので、忘れ物がたくさんありましたが(笑)、こんな時に髪振り乱してとるものもとりあえず飛行機に飛び乗れる、という生活環境自体がとても恵まれているんだと思います。
みなさんのおかげです。
ありがたいことです。
ドバイ経由で26時間の空路を経て、デンマークの北西にいるお義父さんのところに着いたのが、7月11日。
この日は、最愛の奥さん(私にとっての、お義母さん)の命日にあたります。
30年前の今日、思いがけなくマイナーな日帰り手術中にアクシデントで急死してしまったお義母さん。
何が起きたか理解できず、悲しみに沈むお父さん。
そんな夫婦の悲しい歴史がありました。
だから、もしかしたら、この日におかあさんの魂が迎えに来てくれるんじゃないかと、ラースを含め息子兄弟は予想していたようです。
一時は呼吸が不安定になり、もうダメかも?という時もあったようですが、私たちが到着した頃には一山超えたように落ち着いていました。とはいえ、いつどうなってもおかしくない危篤状態には変わりありません。
アルツハイマーは脳細胞が少しずつ死んでいく病気。
最初は認知力が失われていきますが、次第に体の機能を司る脳細胞も死んでいきます。
1年くらい前から歩けなくなり、半年くらい前からしゃべれなくなり、そして1週間くらい前から飲み込むことも出来なくなりました。
食べ物はもちろん、水も飲めず、唾も飲み込めない状態。「延命治療はしない」と事前に家族で決めていたので、点滴や胃ろうはしません。病院でチューブに繋がれて死ぬよりも、自分のベッドで、お父さんの馴染んだ部屋で死んだ方がいい、という選択だったのでしょう。
そんな昏睡状態が1週間も続きました。
水分摂取できないので、体がだんだん枯れるようにしおれていくのです。
お義父さんはもう感覚を感知する脳細胞も死んでいるので、痛みも苦しみも感じないんだと聞きましたが、それにしても干からびていく姿を見ているのは、忍びないものです。
ただただ苦しそうに呼吸だけ続けるお義父さんを見ていると、もう既に魂は抜けちゃっているんじゃないか?という気がしてきます。
お兄さんたちと交代しながら24時間体制で看病していたのですが、みんな寝不足で疲れが溜まってきます。
それに、みんなそれぞれに自分たちの生活があります。大切な仕事のミーティングとか、外せない家族の用事など。家が近くなら、一度帰ってまた戻って来ればいいけれど、私たちのように1日以上かけないと帰れない場合、すべてを捨ててここで待つしかない。お兄さんたちも同じことでした。
26年間連れ添ったお義父さんのガールフレンド、アナもさすがに、「もういいから逝ってくれ」というけど、どうにもなりません。真剣に安楽死の可能性も話し合ったくらいですが、デンマークでは違法なので、ただただ待つしかありません。
私とラースはガールズのお誕生日までに帰れる便を予約していたけど、もう確実にその日には帰れないし、帰国便を変更しようにも、いつに変更したらいいかも分からない。
お兄さんたちもどうしても外せない大切な用事に間に合わないかもしれない。困った。。。と、ため息モードが最高潮に達していました。
「こんだけ苦しんできたお義父さん、早く安らかに逝かせてあげたい」という気持ちと、「自分たちの生活、どうしよう?」という現実的な問題。もしかしたら、「もう父さん死んでくれ」と思うのは、自分可愛さのワガママなんじゃないか?と、罪悪感を感じたり。複雑な気持ちが交錯していました。
でも、この宙ぶらりんの社会から切り離された時空間で、私たちは何かとても貴重な経験を共有していたようにも感じます。今まで知らなかった昔ばなしが語られたり、お互いへの思いやりから共同体感覚が生まれてきたり、生死の不思議さを肌で感じたり。
「親の死に目にあう」ことがそんなに重要だとは思っていなかったけど、人が死んでいくところに立ち会うという経験には人生のヒントがいっぱいなんですね。でも、ふつうは親くらいしか、そういう機会ないから、そういう意味だったんかな、と思いました。
そして、その夜・・・
(その2に つづく・・・)
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